西日に照らされ、茜色に染まった放課後の教室。そこにいるのは、私と彼の二人きり。

「恋してる、って方の、好きだ」

 あの世界で抱き、それ以来ずっと秘め続けてきた想い。その思いの丈を今、彼に伝える。

 やがて、戸惑いがちに返された彼の答えは。

 

 

 

 

「……ごめん、来ヶ谷さん。今の僕には、鈴がいるから……」

 

 

 

 

 

 

 

 がしゃん、ぴー。

 取り出し可能のブザーが鳴ったのを確認して、自販機から紙コップの紅茶を取り出す。

 ……まあ、分かっていたことなのだがな。

 修学旅行以来の理樹君と鈴君の仲睦まじさ。二人で互いを補いながら歩んでいく初々しい姿を知っていれば、今更彼らの間に入っていく余地など無いということは、とっくに分かっていた。

 けれど、もしかしたら。そんな一縷の望みにかけて、想いを伝えて……そしてこの結果だ。

「思い出してもらえただけ僥倖とすべきか」

 独りごちる。理樹君は少なくとも、あの約束を思い出してくれていた。思い出した上で、しかし今の彼の立場上、それを受けることは出来ないと断られた。まさか鈴君と別れろなどと言うわけにもいかず、ならばこれが収まるべき形だったのではないか。

「……ふん」

 鼻を鳴らし、砕かれた安っぽい氷の浮かぶ紅茶を口もとに運ぶ。

「む?」

 紅茶の水面に波紋が立っていた。雨だろうか。空を仰ぐ。見上げた空では、茜色に染まった大きな入道雲が二つ、風に流れていく。それ以外、見える範囲には雲は無い。明日は晴れるだろうか。ふと、そんなことを思った。

「んお? やはー、姉御、姉御ー!」

 突如、周囲の静寂を打ち破る、聞き覚えのありすぎる騒々しい声。視線を下ろし、声の方向に向けてみれば予想通りの人物の姿。

「葉留佳君か」

「姉御、なーにこんなところで黄昏てるんですカ? まあ姉御がやるとそれも絵になるんだ……け、ど……」

 ぱたぱたとこちらに駆け寄りながら話しかけてくる彼女だが、その足と言葉の勢いが急に弱まった。見れば、何やらぎょっとしたような表情を浮かべている。

「どうした、葉留佳君?」

 一拍の間を置いて。

「ど、どうしたの、姉御! 何があったのっ!?」

 先程以上の足と言葉の勢い、更にえらく取り乱した様子で詰め寄ってくる。その勢いにこちらの方が面食らう。

「キミこそどうした。何をそんなに取り乱している?」

「だって姉御、泣いてる……っ!」

「……なに?」

 左手を頬にやる。指先に触れる、濡れた感触。

「……涙、だと?」

 紅茶の水面に波紋を立てていたのは雨などではなかった。頬を伝う、自分でも気付かないままに流していた涙だった。

「っく、ぅ、ぁ……」

 自覚してしまえば止まらなかった。瞼から溢れ出る涙。喉の奥から這い出てくる嗚咽。紅茶の紙コップが手から滑り落ちる。がしゃ、と下の方で音がした。膝から力が抜ける。がくんと視界が下がり、そのまま蹲ってしまう。地面にぶちまけられた紅茶が靴下に染み込み、氷が足の肉に食い込む。きもちわるい。いたい。……そしてなにより、かなしい。

「ぅぁ、うあああぁああぁあぁぁ……」

 とまらない、とまらない。ただわたしはそれいがいのなにもしらないかのようになきつづけ

 ふわり、と頭部が温かく柔らかいものに包まれた。仄かに漂う、爽やかな柑橘系の香り。葉留佳君に頭を抱きかかえられたのだ、とやや遅れて気付いた。

「はるかくん……?」

「何があったのかはわかんないけど、今はとりあえずいっぱい泣けばいいと思うよ」

 言って、そっと私の背中を撫でてくる。その言葉と優しい感触に、箍が外れた。葉留佳君に縋りつき、周囲も気にせず、ひたすら泣き叫んだ。

 ここに来て、ようやく実感が追いついてきた。

 

 ……私は、振られたのだ、な……

 

 

 

 

「……理樹君にな、振られたんだ」

「そ、っか……」

 どれぐらいそうしていただろうか。情けなくも葉留佳君の胸で泣き叫んでいた私はようやく落ち着きを取り戻し、鼻声で教室でのことを話していた。

「そうだよね。みんなあの世界で一度は理樹くんのことを好きになったんだもんね。そういうことだってあるよね」

「覚えているのか、あの世界のことを?」

 表情を窺おうとしても、私の頭は葉留佳君の腕にかき抱かれており、視界は真っ暗だ。かと言ってその腕から抜け出す気にもなれず、そのままの体勢で問う。

「うん。あちこち曖昧だったりするけど、みんなが理樹くんと鈴ちゃんのために動いて、みんなが理樹くんを好きになって、そして二人が強くなっていったことは覚えてる」

「なら、キミはどうなんだ? 理樹君のことが好きな気持ちは残っていないのか?」

「……残ってるよ。私は、理樹くんのことが好き。あの世界でのことはよく思い出せないから比べられないけど、事故で目覚めたばかりの頃よりずっと強く、そう思ってる」

 考えてみれば当然のことかも知れない。記憶自体は薄くとも、葉留佳君ならば、感情の無い私などよりもずっと強く、彼のことを想っていたのだろうから。けれど、それなら。

「ならキミは哀しくないのか? 今彼の隣にいるのがキミではなく鈴君であることが。キミのその想いが報われないことが」

「哀しいよ。すごく哀しい。でも、ちょっとだけ嬉しくもあるんだ。理樹くんと鈴ちゃんがああやって仲良く歩いていく姿は、あの世界で一度、確かに望んだものだったから。それに、一番嬉しかったのは好きって言ってもらえたことだけど、私が貰ったのはそれだけじゃないから。こんな私でも好きになってもらえる可能性があると教えてくれたこと。そして、私が誰かを好きになれるということ。誰かを好きになれるという事は、それだけで私にとっては意味のあることだった。だから私は好きであることをやめない。たとえそれが横恋慕でも、友達として以上の好意は返ってこなくても。それが哀しくても、きっとその想いは変わらない」

 そこまで言って、彼女は深く息をついた。更に、「ま、もし二人がうまくいかなかったらその時は私が理樹くんを横からかっさらっちゃいますヨ」と冗談めかして付け加えて。

 私はただ、圧倒されていた。日頃いい加減な言動の葉留佳君がそこまで考えていることに。普段彼女に対して偉そうに振舞っておきながら、今回はただ泣きじゃくっていただけの我が身が情けなく思えた。

「……なあ、葉留佳君。私に幻滅したか?」

「ほえ、なんで?」

「キミは格好のいい私に憧れていたのだろう? その私がよりにもよってこんなにみっともなく泣き喚いて、未練がましくて。不様だろう?」

「んー、そんなことないよ。確かに私はかっこいい姉御に憧れてたし、今の姉御はあんまりかっこよくないけど、これはこれでなんか可愛いし」

「なっ……か、かわいいとか言うな……」

「あはは、やっぱ姉御、かわいい」

「……ぅ、うるさい、黙れ。葉留佳君の分際で生意気だ」

「酷いっスよ姉御ー」

 特に気分を害した風も無く、くすくすと笑い声を上げながらそっと私の髪を梳く葉留佳君。優しいその手つきに安らぎを感じてしまう自分が情けなかった。

「ねえ」

 髪を撫でながら、そっと葉留佳君が話しかけてくる。

「姉御はさ、何でもできるすごい人だから、これまで何かを上手くやれなかったことって無かったんだよね? だから、悲しむことも泣くことも無かった」

「……そう、かも知れない。これまで私の思うようにならなかったことなど、ほとんど無かった。だから物心ついて以来、泣いたのはこれが初めてだ」

「あはは、やっぱり。それじゃ世界で唯一人、私だけが姉御の泣き顔を知ってるんだ。ちょっと嬉しいかも」

「……不覚だ。葉留佳君如きにそんな弱みを握られるとは」

 悪態をついてみても、あれだけ号泣して見せた後、未だ声を情けなく震わせ、葉留佳君の胸に縋りつきながらでは威厳も何もあったものではない。葉留佳君はまた言葉を続ける。

「姉御と違って、私なんか何やってもダメだからさ。上手くいかないことばっかりで、辛い思いもして、泣いてばっかりで。だから、泣くことに関しては姉御よりずっと上級者なんだ。あんま自慢になんないけどさ」

 不意に、私の背に回された腕が緩む。そっと目を上げると、まだ滲む視界の中で葉留佳君は真剣な目でこちらを覗きこんでいた。

「ね、姉御。この歌、聴いて」

 脈絡なくそう言って、すぅと一つ息を吸い込んだ後、葉留佳君は一つの歌を歌い始めた。

 

 ―茜色の雲 思い出も二つ 遠く流れていくよ―

 

 歌詞の通り、茜色の雲が流れ行く空の下で、葉留佳君が口ずさむ歌。どこか遠くで聞いたような、懐かしいメロディ。

 

 ―キミは泣いた後笑えるはずだからって言ったんだ 僕らの旅 忘れたりしないよ―

 

「泣くことってやっぱり哀しいけど。いっぱい泣いて、泣いて、泣き止んで。そうしたらその後にはきっと笑える。辛い思い出でも、忘れちゃいけないことってあると思うんだ」

 歌を途中で切り、そう語りかけてくる。

「その歌は?」

「や、何か知らないけどいつの間にか自作の曲とかに混じって携帯に登録されてたんですヨ。しかも歌詞付きで」

 不思議だねー、とくすくす笑い、また語りかけてくる。

「辛いことでも忘れちゃいけないことがある。例え報われなくても、『いっそ好きになんてならなければ良かった』なんて、考えちゃいけないと思う」

「なっ……」

 思わず息を呑む。葉留佳君の言ったのは、まさに私の考えていたことだったから。

「自分が好きになって、相手も好きになってくれたらそれが一番いいことだと思う。けど、誰かを好きになるっていうのは、きっとそれだけで意味があるんだよ。姉御はさ、理樹君のこと好きになって、それで得たものって心当たりない?」

「それ、は……」

 ある。彼がくれたのは、私に対する好きと言う言葉だけではない。この世界を感じること、それ以外にもたくさんのものを私は彼から貰っていた。

 私の表情を読んだかのように葉留佳君は言う。

「だったら、好きでい続けようよ。今は哀しくて急には無理だろうけど、いっぱい泣いて、その後にまた笑って欲しいよ。いつもみたいにフハハハハ、って格好良くさ。そうしてまたいつか歩き出して欲しいよ」

「……ああ、いつか……」

 そう呟き、小さく頷く私を見てにこりと満足げな笑みを浮かべ、葉留佳君は普段どおりのおちゃらけた声を出す。

「にしても理樹くんってば、いくら鈴ちゃんがいるからって勿体無いことするなぁ。もし私が男の子だったら絶対姉御をほっとかないのに」

「……ふん、男版葉留佳君などこっちから願い下げだ」

「姉御ひどっ!?」

「……キミはそのままでいてくれ……」

「え? 姉御、今何て言ったの? よく聞こえなかったんだけど」

「……さっきの歌の続きを歌ってくれないか、と言ったんだ」

「やはは、あんまり上手じゃないからちょっと恥ずかしいけど、姉御のご要望とあらば」

 そう言って、息を一つ吸い込む葉留佳君。吸った息を止めて、口を開いて、

「あ、それとね、姉御。さっきは言い忘れてたけど、私、理樹くんのことだけじゃなくて、姉御のことも好きだよ」

「なっ……!」

 またえらく脈絡の無い言葉をぶつけられ、返事に窮する。そんな私を余所に、どこか楽しそうな表情で葉留佳君は再びその唇に音階を乗せた。葉留佳君の唇が紡ぐその旋律に子守り歌のような安らぎを覚える。その安らぎと、葉留佳君の温もりに包まれて。

 私はまた、泣いた。

 

 ―失くさないよう魔法かけて さよならを伝えない 歩き出すよ またいつか―

 

 

 

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